床屋・美容室はいつ生まれた?知られざる800年の歴史をたどる

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公開日:2026年4月 | カテゴリ:生活・雑学



床屋に行くたびにクルクル回っているあの赤・白・青のサインポール。なんとなく見慣れているけど、あれがどういう意味なのか知っている人は意外と少ないんじゃないでしょうか。

実はサインポールの由来をたどると、血と外科手術の話につながります。そして床屋そのものの歴史をたどると、鎌倉時代の武士の話に行き着く。「ただの髪切り屋」だと思っていたものの意外な歴史、まとめてみました。


床屋の始まりは鎌倉時代の武士の髪から


日本の床屋の歴史は約800年前、1200年代の鎌倉時代にさかのぼります。

亀山天皇の頃、蒙古襲来の下関において、采女亮(うねめのすけ)という人物が武士の月代(さかやき)を剃って髪結業を行ったのが「床屋」の始まりと言われています。山口県下関市の亀山八幡宮には今も「床屋発祥の地」の記念碑が立っています。

「月代」とは、前頭部から頭頂部にかけて頭髪を剃り上げたスタイルです。もともとは貴族が冠や烏帽子をかぶる時に頭が蒸れるので、額の髪を半月の形に剃ったことが始まりとも言われています。それが武士の正式な髪型として広まっていきました。


「床屋」という名前の由来

「床屋」という言葉の由来には複数の説があります。

ひとつは「床の間のある店」説。当時の髪結いの店には床の間が設えられていたため、「床の間のある店」が「床屋」になったというものです。

もうひとつは江戸時代の「床店(とこみせ)」説。板や竹を組んで簡易な床を張っただけの仮設の露店のことを「床店」といい、江戸では床店で営業する髪結いが多かったため、「髪結い床」と呼ばれるようになり、それがのちに「床屋」になったという説です。

いずれにしても「髪を結う」という文化が先にあり、それを生業にする人・場所を指す言葉が「床屋」に変化していったということです。


中世ヨーロッパの理髪師は「外科医」だった

Ambroise Pare as an apprentice barber surgeon in Paris. Illustration for La Ciencia Y Sus Hombres by Luis Figuier (D Jaime Seix, 1876). Large chromolithograph.

日本の話と同時期、ヨーロッパでも理髪師は存在していましたが、その役割は現代とはまったく違いました。

中世ヨーロッパにおいて、床屋は単に髪を整える職人ではなく、外科的な手術や治療行為を行う医療従事者でもありました。「瀉血(しゃけつ)」——悪い血を外に出すことで病気を治すという当時の治療法——を実践するのが理髪師の仕事のひとつだったのです。

歯の抜歯や傷の手当て、静脈からの採血まで、理髪師が担っていました。彼らは「barber surgeon(理髪外科医)」と呼ばれ、内科を担う医師とは別に外科的処置を一手に引き受けていたのです。

刃物を扱う技術があったから外科も担当した、というのが実態です。これを聞くと少しゾッとしますが、当時はそれが当たり前でした。


サインポールの赤・白・青は「血と包帯」の色だった


理容室の前でくるくる回るサインポール——赤・白・青の3色の意味は、まさに「理髪外科医」の時代に由来します。

瀉血の手術で使われていた赤い棒を、手術後に白い包帯と一緒にお店の軒先に干していましたが、風が吹いた際に包帯が赤い棒に巻きつき、その姿がサインポールの原形になっているといわれています。

赤=動脈の血、青=静脈の血、白=包帯というのが一般的な説です。17世紀以降に外科医と理容師が分離されるようになった際、理容師は青・外科医は赤白の色分けがされ、最終的に理容室の看板として赤・白・青の3色が定着しました。

あのクルクル回るポールに、中世ヨーロッパの外科手術の歴史が詰まっているとは、なかなか驚きです。


明治維新と「断髪令」——ちょんまげが消えた日

江戸時代まで、日本の男性はほぼ全員がちょんまげを結っていました。それが明治維新で一変します。

1871年(明治4年)、政府は「散髪脱刀令」を出しました。「ちょんまげを切ってもいいし、刀を差さなくてもいい」という法令です。一般には「断髪令」と呼ばれていますが、強制ではなく許可という形でした。

これにより、髪型を整える仕事が「髪を結う」から「髪を切る」へとシフトしていきます。欧米から西洋式の理髪技術が入り込み、横浜や銀座では高級な理髪店が次々と開業しました。

江戸時代まで800年続いた「髪を結う文化」が、明治になって数十年で「髪を切る文化」へ移行したのです。変化のスピードとして、かなり急激です。


美容室の誕生——女性のための空間として


「美容室」の始まりは、1897年(明治30年)に芝山兼太郎が外国婦人専門サロン「パレス・トイレット・サロン」を開業したのが起源ともいわれています。

その後1906年(明治39年)、東京・銀座でアメリカで美顔術を習得した遠藤ハツが「遠藤理容館」を開業。パーマネントウェーブをアメリカから導入した美容院も大正時代に登場し始めます。

当時の美容室は一部の富裕層向けの高級施設で、一般庶民にはあまり縁のない存在でした。当時の結髪代が30銭から50銭だった時代に、山野美容室では毛染め1回が食事つきで15円という記録が残っており、その料金の高さが評判になったと言われています。

昭和10年(1935年)頃にパーマネントウェーブが普及し、ウェーブスタイルが大流行。これをきっかけに美容室が広く一般に普及していきます。当初のパーマは「電髪」と呼ばれ、加熱機器を用いるものでしたが、昭和24年(1949年)にはコールドパーマも始まっています。


理容師と美容師が「別の資格」になった理由

日本では戦後、理容師と美容師が法律で別々の資格として定められました。1947年に理容師法、1948年に美容師法がそれぞれ制定されています。

ざっくり言うと、理容師は「顔剃り(シェービング)ができる」、美容師は「パーマやカラーが得意」という棲み分けです。理容師だけが剃刀を顔に当てることができ、美容師はシェービングができないとされてきました。

2015年まで、建前上は「美容室で男性のカットをしてはいけない」という通知があったほどです。今では撤廃されて気軽に美容室を使う男性も多いですが、こういう歴史的な経緯があったわけです。


歴史まとめ

時代できごと
1200年代(鎌倉)下関で武士の月代剃りが「床屋」の始まり
中世ヨーロッパ理髪師が外科手術も担当「理髪外科医」が誕生
17世紀ヨーロッパで外科医と理容師が分離・サインポール誕生
1871年(明治4年)散髪脱刀令・日本のちょんまげ文化が終わりへ
1897年(明治30年)日本初の「美容室」的サロンが銀座に開業
1935年(昭和10年)パーマネントウェーブが大流行・美容室が普及
1947・1948年理容師法・美容師法が制定・国家資格に
現代バーバーブーム・美容室の多様化が進む

まとめ


床屋の歴史は、鎌倉時代の武士の月代から始まり、江戸時代の露店髪結い、明治の断髪令と近代化、昭和のパーマブームと、日本の社会の変化とともに形を変えてきました。

ヨーロッパでは外科医でもあった理髪師が、あのサインポールを生み出したというのも、知ると見え方が変わる話ですよね。

次に床屋や美容室に行くとき、ドアの前でくるくる回るサインポールをちょっと違う目線で眺めてみてはいかがでしょうか。


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