端午の節句はなぜ5月5日なの?こどもの日の意外な歴史

生活

公開日:2026年3月


5月5日はこどもの日。鯉のぼりが泳いで、かしわ餅を食べて、子どもの成長を祝う日。みんなが知っている祝日ですが、「なぜ5月5日なのか」「なぜ鯉のぼりなのか」と聞かれると、意外と答えられない人が多いんじゃないでしょうか。


「端午の節句」は中国からやってきた

端午(たんご)の節句はもともと中国の行事です。「端」は「始め」、「午」は「5月」を意味し、「5月の最初の午の日」という意味が語源とされています。

中国では古くから5月は「邪気が多い月」とされていました。夏に向けて気温が上がり、害虫や疫病が増える季節だから、という理由からです。そこで菖蒲(しょうぶ)を使って厄払いをする習慣が生まれ、それが日本に伝わりました。


なぜ「菖蒲」が「武士」になったのか

日本に伝わった端午の節句は、平安時代には宮廷行事として定着しました。菖蒲(しょうぶ)を飾り、厄除けをする行事として続いていたのですが、時代が下って武士の世の中になると、大きく変化します。

菖蒲(しょうぶ)の発音が「勝負」「尚武(武道を重んじること)」に通じるということで、武士たちが「これは武を重んじる日だ」と解釈し始めたのです。やがて男の子の健やかな成長と武運を祈る行事へと変化していきました。


鯉のぼりはなぜ鯉なのか

鯉のぼりが登場するのは江戸時代のことです。中国の故事「登竜門」、つまり鯉が滝を登って龍になるという話から、鯉は「困難を乗り越えて出世する」象徴とされていました。

最初は武士の家で旗指物(家紋の旗)を飾る文化があり、それが庶民の間では鯉のぼりに変化していったとされています。「うちには家紋の旗を立てる身分はないけれど、子どもの出世を願う気持ちは同じ」という庶民の気持ちが生んだ文化です。


「こどもの日」になったのは戦後

「端午の節句=男の子の日」だったのが、「こどもの日」という国民の祝日になったのは1948年のことです。戦後の新しい祝日制度の中で、「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」という意味で制定されました。

5月5日という日付は端午の節句からそのまま引き継がれたものです。


まとめ

端午の節句の歴史は「中国の厄払い→日本の宮廷行事→武士の武を重んじる日→庶民の子どもの祝い→戦後のこどもの日」という変遷をたどってきました。

菖蒲が「勝負」に通じるというダジャレみたいな理由で武士の行事になったのが、個人的には一番面白いポイントです。日本人は昔から言葉遊びが好きだったんですね。



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