公開日:2026年3月 | カテゴリ:お金
「年金って、いつ誰が作ったの?」と聞かれて、すぐ答えられる人はあまりいないと思います。毎月保険料を払っているのに、そもそもの成り立ちをよく知らない——実はそういう人がほとんどです。
調べてみると、年金の歴史は意外なところから始まっていて、時代ごとに社会の事情に合わせて大きく形を変えてきていることがわかります。今回はその変遷を時系列で追っていきます。
そもそもの始まりは「軍人へのお礼」だった
年金制度の歴史の始まりは明治時代の1875年までさかのぼります。最初は「海軍退隠令」として、海軍の人たちに対して国を守るために尽くしてくれた「お礼」として年金を受け取ることができました。当初は「恩給」としての意味合いが強いものでした。
つまり今の「老後のための積み立て」とは全然ちがう。国のために働いた人への報酬という感覚です。その後、陸軍軍人にも広がり、警察官や教職員などの公務員にも対象が拡大されていきました。1923年に「恩給法」が制定され、公務員のための年金制度が確立されました。
戦時中に「労働者」にも広がった理由
軍人・公務員だけが対象だった年金制度が、民間の労働者にも広がったのは戦時中のことです。
1920〜1930年代の日本は、農業中心だった社会から重化学工業が発展していく社会に変化し、労働者が農村から都市に移りはじめた時代でした。その問題に対処するために1922年に健康保険法、1938年に国民健康保険法が成立しました。
そしてその流れで年金も導入されます。1939年に船員を対象とした「船員保険法」が制定されました。「船員保険法」は戦争に関する生産力を上げることや、戦争に協力する人の福利厚生を図るのを目的としていました。
1941年、工場等の男子労働者を被保険者とし、養老年金等を支給する労働者年金保険法が制定され、翌1942年から実施されました。労働者年金保険法の背景には、労働者の福祉充実のほか、労働力を保全強化し、生産力の拡充を図ることなどがありました。
要するに「労働者を大切にすれば、もっと働いてくれる=戦争に勝てる」という計算が背景にあったわけです。今の感覚からすると少し複雑な気持ちになりますが、それが当時の現実でした。
1944年には、労働者年金保険法は厚生年金保険法へと名称を改め、被保険者の範囲を事務職員、女子にも拡大するなどの改正を行いました。
戦後の混乱期——積み立てたお金が紙切れに
戦争が終わると、年金制度は深刻な問題に直面します。
終戦に伴う経済の混乱の中で、急激なインフレによって労働者の生活は苦しく保険料の負担も困難となり、また、積立金の実質的な価値が減少し、将来の給付のための財源とならなくなってしまうなどの問題が生じました。
これは深刻な話です。「老後のために積み立てていたお金が、インフレで実質ゼロになってしまった」ということですから。1948年の改正においては、保険料率は約3分の1に引き下げる暫定的な措置をとり、この引き下げられた保険料率は1960年に至るまで据え置かれました。
その後1954年には、将来受け取れる定額部分と報酬比例部分の2階建ての老齢年金にして、男性の年金の支給年齢を段階的に55歳から60歳へと引き上げました。この「2階建て」という考え方は、のちの年金制度の基本になっていきます。
1961年——「全国民が入る年金」がついに誕生
ここまでの年金制度には、大きな穴がありました。農業や漁業を営む人、自営業者、小さな会社で働く人たちは対象外だったのです。
1950年代、農民や漁師などの自営業者や5人未満の零細企業で働く人が大部分を占めていたため、どの年金制度にも加入していない人が多く存在し、このことが社会問題となっていました。
さらに時代が変わって、経済成長の中で「核家族化」の進行や「人口の都市集中」「高齢化」社会への展望などを背景に、1959年に国民年金法が制定され、1961年に拠出制国民年金が発足してようやく国民皆年金が達成されました。
これが現在の年金システムの原型です。当時は月額100円の保険料を25年納めると月額2000円、40年納めると月額3500円受け取れました。今の感覚だとずいぶん少ない金額ですが、当時の物価を考えれば一定の意味があったのでしょう。
高度経済成長期——給付水準がどんどん上がった
1960〜70年代の日本は経済が急成長していた時代。欧米の先進諸国に「追いつけ追い越せ」という意識が年金の給付水準にも反映されてきました。
この時期には「1万円年金」「5万円年金」と呼ばれる給付水準の引き上げが相次いで行われました。年金制度発足後は積立方式を採用していましたが、戦後の高度成長期やインフレの影響を受けて財源不足となり、1966年に賦課方式の要素を持つ修正積立方式へと変化し、その後1973年までには現在の賦課方式へ完全に変わりました。
「賦課方式」とは、今の現役世代が払った保険料が、そのまま今の年金受給者に支払われる仕組みです。これが今の年金制度の根本構造です。つまり「将来の自分のために積み立てる」のではなく「今の高齢者を若者が支える」制度に変わったのです。
1985年改革——現在の「2階建て年金」が完成
高齢社会の到来に備えて1985年、全国民に共通の「基礎年金」を支給する仕組みがスタートします。これが現在の「2階建て」年金制度の始まりです。1階部分はすべての人が加入する「国民年金(基礎年金)」、2階部分は会社員や公務員が加入する「厚生年金」や「共済年金」です。
この改革のもうひとつの大きなポイントが、主婦の強制加入です。当初任意加入だった主婦も強制加入となりました。これは主婦が離婚すると無年金になってしまうことが問題となったためです。また1991年には学生も強制加入の対象となりました。
2004年改革——「100年安心」と言われたが…
少子高齢化が深刻になってくると、「このままでは年金が持たない」という議論が本格化します。2004年に大きな改革が行われ、「マクロ経済スライド」という仕組みが導入されました。これは、現役世代の減少や平均寿命の伸びに合わせて、年金の給付水準を自動的に調整するというものです。
当時の政府は「100年安心」と説明しましたが、その後も議論は続いています。
2017年以降——受給要件の緩和と今後の課題
2017年には、これまで25年間保険料を納めなければもらえなかったのが「10年以上」に引き下げられました。これで「25年納めないと1円ももらえない」という状況が解消されました。
2024年8月には財政検証の結果が発表されています。少子高齢化が進む中で、国民にとって条件が改善される改正は望みにくいですが、制度維持のためには不可欠なものと言えるでしょう。
年金制度の歴史まとめ
| 時代 | できごと |
|---|---|
| 1875年(明治8年) | 海軍退隠令・軍人への恩給制度が始まる |
| 1923年(大正12年) | 恩給法制定・公務員の年金制度が確立 |
| 1939年(昭和14年) | 船員保険法・民間への年金が初めて登場 |
| 1942年(昭和17年) | 労働者年金保険制度が発足 |
| 1944年(昭和19年) | 厚生年金保険法に改称・女性も対象に |
| 1961年(昭和36年) | 国民皆年金が実現・現在の原型が完成 |
| 1973年(昭和48年) | 完全な賦課方式に移行 |
| 1985年(昭和60年) | 基礎年金制度創設・2階建て構造が完成 |
| 2004年(平成16年) | マクロ経済スライド導入・財政検証開始 |
| 2017年(平成29年) | 受給資格期間が25年から10年に短縮 |
まとめ
年金制度は、軍人へのお礼から始まり、戦時中の労働力確保のための制度を経て、高度経済成長の中で全国民に広がっていきました。そして少子高齢化という現実に直面しながら、今も変化し続けています。
「年金は大丈夫なのか」という不安は多くの人が持っていますが、制度の歴史を知ると「社会の変化に合わせて何度も作り直してきた制度」だということがわかります。NISAやiDeCoなど自分で備える手段も増えてきた今、公的年金の仕組みを理解したうえで自分なりの老後設計を考えることが大切になってきています。
⚠️ この記事は情報提供を目的としており、投資や金融商品を勧誘するものではありません。内容の正確性については最新の厚生労働省の情報もあわせてご確認ください。
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