公開日:2026年4月 | カテゴリ:生活・雑学
私たちの生活は石油なしには成り立ちません。ガソリン・プラスチック・衣類・医薬品——あらゆるところに石油が使われています。でも、石油がどうやって「発見」されて、どんな経緯で世界を動かすほどの資源になったのか、改めて考えたことがある人は少ないかもしれません。
実は石油の歴史は、ひとりの「失業中のおじさん」が始めたものでした。
石油自体は古くから知られていた

石油が地面から染み出していることは、古代から各地で知られていました。
日本書紀には668年(天智7年)、越の国(現在の新潟県)から燃える水・燃える土が近江大津宮に献上されたとあり、これがわが国最初の石油についての記録です。
中東でも古代から地表に滲み出す石油が使われており、メソポタミアでは防水材や接着剤・船のコーキング(隙間を塞ぐ材料)として使われていました。
ただし「地面を掘って大量に取り出す」という発想は長らくありませんでした。地表ににじみ出るものをすくって使う、それが何千年もの間、人類と石油の関係でした。
「鯨油の代替品」を探していた時代
19世紀前半のアメリカでは、ランプの燃料として鯨油が広く使われていました。しかし捕鯨が盛んになるにつれて鯨の数が減り、鯨油の価格が高騰し始めます。
「鯨油に代わる安価な燃料はないか」——この需要が、石油産業誕生の大きなきっかけになりました。
実はペンシルベニア州では古くから地面に石油が染み出していることが知られていて、先住民は薬として使っていたほどでした。ここに目をつけた実業家たちが「地面を掘ればもっとたくさん出てくるのではないか」と考え始めます。
ドレーク大佐の「愚行」と呼ばれた掘削
1857年、ビッセルとタウンゼントはタイタスヴィルに派遣して原油を掘削させるためにエドウィン・ドレークを雇い入れました。ドレークは解雇された元車掌で、この新しい仕事に対する唯一の資格はタイタスヴィルへの旅行を可能にする鉄道フリーパスを所持していることだった、と記録されています。
つまり「他に適任がいなかったから」選ばれた人物でした。
ドレークは現地に乗り込んで掘削を始めますが、地元住民から「ドレークの愚行」と冷ややかに見られ、資金提供者もさじを投げ、撤退の命令が下されます。
撤退の手紙がドレークの手にまだ届かない1859年8月27日の土曜日午後、運命が逆転します。ドレークはいつもどおりに作業を続けていたのですが、急に掘削機械が動かなくなり、中断せざるをえなくなりました。不思議に思って掘削穴を覗き込んだところ、底に黒く光り輝く液体が見えたのです。
撤退命令の手紙が届く直前に石油を発見した——これが近代石油産業の始まりです。
皮肉なことに、ドレークは決して自分が開発した掘削法の特許を取らず、石油ビジネスで儲けたそこそこの利益もウォール街での投機で失い、貧しい年金生活者として1880年に死んだとされています。石油産業を生み出した男が、その恩恵をほとんど受けずに生涯を終えたのです。
オイルラッシュ——黒いゴールドラッシュ

ドレークの成功が伝わると、一夜にしてペンシルベニア州に人が押し寄せます。
1859年には2千バレルにすぎなかった石油の生産ですが、翌年には50万バレルに、その翌年には200万バレルに達します。生産量がたった2年で千倍になったのです。
当初の主な用途は灯油(ランプの燃料)でした。しかし石油が大量に出回ると供給過剰で価格が暴落し、多くの会社が倒産します。
そこに登場したのがジョン・D・ロックフェラーです。1870年にスタンダード石油を設立すると次々と石油精製所を買収し、80年代にはシェア8割と、市場をほぼ独占するまでになりました。
石油王・ロックフェラーは後にアメリカ史上最大の資産家となりますが、独占禁止法違反として1911年にスタンダード石油は解体を命じられます。この解体で生まれた会社のひとつが、現在のエクソンモービルです。
自動車の登場が石油の需要を爆発させた
20世紀に入るまで、石油の主用途はあくまで「灯油(照明)」でした。それを一変させたのが自動車の普及です。
1908年、フォードがT型フォードを発売し自動車が庶民に広まると、ガソリン需要が急増。石油は「照明のための燃料」から「移動のためのエネルギー」へとその役割を大きく変えました。
飛行機・船・トラック・工場の機械——あらゆるものが石油を動力源とする時代が始まり、石油を持つ国が世界の覇権を握る構図が生まれていきます。
中東の油田発見と世界パワーバランスの変化

20世紀前半、石油の主産地はアメリカでした。しかし次第に中東の巨大な油田が発見されていきます。
1938年、サウジアラビアで大規模な油田が発見されます。その後、クウェート・イラク・イランなどでも次々と巨大油田が確認され、中東は「世界の石油庫」と呼ばれるようになりました。
当初、これらの油田の採掘権はアメリカやイギリスの石油メジャー(大企業)が握っていました。産油国が自国の資源をコントロールできない状態が長く続いたのです。
OPECの誕生と産油国の逆襲
中東の産油国はやがて「自分たちの石油を自分たちで管理したい」と動き始めます。
1960年、サウジアラビア・イラク・イラン・クウェート・ベネズエラが集まりOPEC(石油輸出国機構)を結成しました。産油国が団結して石油の価格や生産量をコントロールするための組織です。
そして1973年、歴史的な出来事が起きます。
オイルショック——石油が「武器」になった日

1973年の第四次中東戦争をきっかけに、アラブの産油国はイスラエルを支援する欧米諸国への石油輸出を禁止・削減します。これが第一次オイルショックです。
原油価格は約4倍に跳ね上がり、世界経済は大混乱に陥りました。日本でも「石油がなくなる」という噂でトイレットペーパーが買い占められ、物価が急騰。「狂乱物価」と呼ばれるほどの事態になりました。
この出来事は「石油を持つ国が世界を動かせる」という現実を、世界中に強烈に知らしめました。それ以降、各国は石油依存を減らすエネルギー政策を進めつつも、現在もなお石油が世界のエネルギーの約34%を占める状況が続いています。
石油の歴史まとめ
| 年代 | できごと |
|---|---|
| 668年(日本) | 日本書紀に「燃える水」の記録 |
| 1859年 | ドレーク大佐がペンシルベニアで初の機械掘り成功 |
| 1870年 | ロックフェラーがスタンダード石油を設立 |
| 1901年 | テキサス州スピンドルトップで大油田発見 |
| 1908年 | フォードT型登場・ガソリン需要が急拡大 |
| 1938年 | サウジアラビアで大規模油田発見 |
| 1960年 | OPEC(石油輸出国機構)結成 |
| 1973年 | 第一次オイルショック・原油価格が約4倍に |
| 現在 | 世界の消費エネルギーの約34%が石油 |
まとめ
石油の歴史は、撤退命令の手紙が届く直前に掘り当てたひとりの男から始まりました。その発見が産業革命後の世界と組み合わさり、自動車・飛行機・プラスチックという現代文明の基盤を作り上げました。
同時に石油は戦争の原因になり、世界の政治を左右し、気候変動の主因ともなっています。「ただの黒い液体」が、これほど人類の歴史を変えた資源は他にないかもしれません。
今ガソリンスタンドで給油するとき、この150年の歴史が詰まっていると思うと、少し感慨深くなりますね。
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