テレビはどうやって生まれた?「イ」の字から4Kまで100年の歴史をたどる

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公開日:2026年4月 | カテゴリ:ライフスタイル・雑学



「今夜のテレビは何やってる?」が「今日のYouTubeは何見る?」に変わりつつある時代になりました。若者のテレビ離れが言われて久しいですが、それでも一日平均3〜4時間テレビを見ているというデータがあるくらい、私たちの生活にテレビは根付いています。

そのテレビ、実は発明から普及まで、ドラマチックな歴史があります。「イ」という文字を映し出した実験から始まり、街頭に人だかりを作り、家族が茶の間に集まり、そして今はスマートフォンと競い合う時代になった。100年にわたる変遷をまとめます。


テレビの誕生——世界初は「ブラウン管にイの字」


テレビの歴史をたどると、19世紀末まで遡ります。1897年にドイツの物理学者フェルディナント・ブラウンが「ブラウン管」を発明。これがテレビの映像を映し出す装置の原型になりました。

ただし、このブラウン管はもともとテレビのために作られたものではありませんでした。電気の実験に使う波形観測用の装置です。これを「映像を映す」ために使い始めた人物が、日本人の高柳健次郎でした。

1926年12月25日、高柳はブラウン管を使って世界で初めて電子式テレビによる映像の送受信に成功しました。そのとき映し出した映像は「イ」の文字。カタカナの「イ」が、テレビの歴史の始まりです。

この功績から高柳は「テレビの父」と呼ばれ、静岡大学の名誉博士の称号を受けています。テレビという20世紀最大の発明のひとつを、日本人が世界に先んじて実現したという事実は、あまり知られていません。

その後、1935年にドイツが世界初の定時放送を開始。1936年のベルリンオリンピックはテレビで中継されました。イギリスのBBCも1936年に本放送を開始し、テレビはヨーロッパで急速に普及していきます。


日本でのテレビ放送開始——白黒テレビは「年収と同じ値段」

1953年、NHKが日本初のテレビ放送を開始しました。同年にシャープが国産第1号の白黒テレビを発売しています。

ところが当時のテレビ価格は約175,000〜250,000円。大卒初任給が約15,000円の時代に、年収相当の金額です。庶民が気軽に買えるものではありませんでした。

そこで生まれたのが「街頭テレビ」です。


街頭テレビとプロレス——みんなで見た時代


テレビを買えない庶民のために、日本テレビは人の集まる駅前や広場に街頭テレビを設置しました。そこで特に人気を集めたのがプロレス中継です。

力道山が活躍したプロレス放送のとき、街頭テレビの前は黒山の人だかりになりました。見知らぬ人同士が肩を寄せ合って画面を見つめる光景は、昭和30年代の日本の風景として語り継がれています。

昭和33年(1958年)時点でテレビの普及率は10%程度でしたが、そのほとんどは商店の集客用でした。少し余裕のある人はそば屋のテレビを見に行ったという時代です。


ご成婚パレードで普及が爆発——テレビは「三種の神器」へ

転機は1959年4月10日にやってきます。当時の皇太子殿下と正田美智子様のご成婚パレードが、テレビで生中継されたのです。

「ミッチーブーム」と呼ばれる社会現象の中、人々はパレードを見ようと競ってテレビを購入しました。これを機に普及率が一気に25%まで上昇します。

その後、冷蔵庫・洗濯機と並んで「三種の神器」のひとつとなり、高度経済成長の波に乗ってテレビは一般家庭に急速に広まっていきました。


1964年東京オリンピック——カラーテレビ時代の幕開け


1964年の東京オリンピックは「世界初のテレビオリンピック」と呼ばれました。通信衛星を使った生中継、スローモーションVTRなど、新しい技術が一斉に登場したのがこの大会です。

日本では1960年にNHKがカラー放送を開始していましたが、当初のカラーテレビは50万円以上と車よりも高価で、普及率はほぼゼロでした。東京オリンピックのカラー放送は街頭テレビで見るのが実態だったのです。

しかしオリンピックを機にカラーテレビへの関心が高まり、その後の高度成長期に価格が下がるにつれて一気に普及。カラーテレビ・カー・クーラーは「新三種の神器(3C)」と呼ばれる憧れの家電になりました。

1975年にはカラーテレビの普及率が90%を超え、「テレビ=カラー」の時代が完成します。


昭和の茶の間——家族がテレビの前に集まった時代


テレビが一家に一台となった昭和後期、「茶の間のテレビ」は家族のコミュニケーションの中心でした。

夕食の時間になると家族全員がテレビの前に集まり、同じ番組を見て笑い、感動する。プロ野球中継・連続ドラマ・紅白歌合戦——テレビは「一億総茶の間」をつなぐ共通体験の場でした。

1975年頃からはビデオデッキも普及し始め、見たい番組を録画して後から見る習慣も生まれます。チャンネルを手で回す「ダイヤル式」から赤外線リモコンへの移行も、この時代の大きな変化でした。ちなみに今でも「チャンネル回して」という言い方が残っているのは、ダイヤル式だった時代の名残です。


デジタル化と薄型テレビ——そして「テレビ離れ」の時代へ


2000年代に入ると、ブラウン管から薄型液晶・プラズマテレビへの移行が進みました。2011年にはアナログ放送が終了し、地上デジタル放送に完全移行。画質がフルハイビジョンになり、さらに4K・8Kへと進化が続いています。

一方でこの頃から「テレビ離れ」という言葉が聞かれるようになります。スマートフォンの普及、YouTubeやNetflixなどの動画配信サービスの台頭によって、特に若い世代がテレビから離れる現象が起きています。

現代のテレビはインターネットに接続できる「スマートテレビ」が主流になり、YouTubeやNetflixを大画面で見るためのモニターとして使う人も増えました。「テレビという箱」は生き残りつつ、「テレビ放送を見る」という文化が変容しているのが今の状況です。


テレビの歴史まとめ

年代できごと
1897年ドイツ・ブラウンがブラウン管を発明
1926年日本・高柳健次郎が世界初の電子式テレビで「イ」の字を映す
1935年ドイツで世界初の定時テレビ放送が始まる
1936年ベルリンオリンピックをテレビ中継
1953年NHKが日本初のテレビ放送開始・シャープが国産第1号を発売
1959年皇太子ご成婚パレードの中継でテレビ普及が爆発的に拡大
1964年東京オリンピックをテレビ中継・カラーテレビ普及のきっかけに
1975年カラーテレビの普及率が90%を超える
2011年アナログ放送終了・地上デジタル放送に完全移行
現在4K・8K・スマートテレビの時代へ。動画配信との競合が続く

まとめ

テレビの歴史は「イ」の文字から始まり、街頭テレビのプロレス中継、ご成婚パレード、東京オリンピック、茶の間の団らん、そして薄型・スマートテレビへと変わってきました。

わずか100年ほどで、白黒の小さな画面が一家に一台の4Kテレビになり、さらにスマートフォンやタブレットと競い合う存在になっています。技術の進化のスピードを改めて実感します。

「テレビ離れ」が言われる時代でも、大きな画面で映像を楽しむという体験の価値はなくなっていない。テレビという道具がどう進化し続けるのか、これからも目が離せません。


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